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【あらすじ】あの有名な『リトルマーメイド』の原作『人魚姫』ってホントはどんな話?悲しいラストに見えるけど実は・・・

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ディズニーが1989年に公開したアニメ映画『リトルマーメイド』。アリエルとエリック王子のラブロマンスに心奪われた人も多いと思います。作品の世界観をもとにつくられた東京ディズニーシーのマーメイドラグーンは大人気エリアのひとつですね。

でも映画『リトルマーメイド』の原作である「人魚姫」のストーリーは年々忘れられつつあります。

本記事では悲恋の物語である原作『人魚姫』のストーリーについて紹介していきます。とてもいい物語です。

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人間に憧れた人魚の物語

1837年に発表された『人魚姫』(Den lille Havfrue)。書いたのはデンマークの児童文学作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンです。

原作『人魚姫』はディズニーアニメ『リトルマーメイド』とは違い、決してハッピーエンドの恋物語ではありません。

かんたんなあらすじは次の通りです。

ずいぶん前にお妃を亡くした人魚の王。6人の娘をたいそう大事に育てていました。

王の娘たちは15歳になると海の上の世界を見に行くことが許されるようになり、一番末の娘も15歳になった日にはじめて自分の目で海の上を見に行きます。

娘が海上に顔を出すと、そこに見えたのは大きな船。きらびやかな船の上で人間たちがパーティーを開いていました。

人魚の娘はそのパーティーの中にいるひときわ美しい青年に一目ぼれ。彼は浜辺の国の王子で、洋上のパーティーは王子の16歳の誕生日を祝う宴だったのです。

娘が波間から王子の姿をうっとりと眺めていると突然空が曇りだし、波がみるみる高くなります。突然の嵐がやってきたのです。

船はあっという間に大波にのまれて転覆。王子は海へ投げ出さて意識を失います。人魚の娘はあわてて王子を助けに行きました。彼の体を波の上に持ち上げましたが意識は戻りません。このままでは死んでしまうと思った娘は、王子を浜辺まで運び、波打ち際に横たえます。

娘は王子のことが心配でしたが、人間の女性がやってくるのが見えたのであわてて海へと戻りました。

15歳になったばかりの人魚の王女が生まれて初めて見た美しい人間の王子に心を奪われます。このあたりは『リトルマーメイド』と特に違いはありません。

海の底に戻った人魚の娘でしたが、王子のことがどうしても忘れられません。思い悩んだ娘は王子にもう一度会いたい一心で祖母に相談します。

祖母は孫娘に人間と人魚の違いを説きます。300年生きられる人魚と違って人間は短命であるということ・・・。でも死ぬと泡になって消える人魚と違い、人間には魂があり、死後の魂は天国という素晴らしい世界へ召されて永遠に生き続けるのだということ・・・。

そして「王子に愛され結婚することができれば娘も人間と同様に魂を授かることができる。でも見た目が異なる人魚を王子が愛するはずはない」と告げます。

人魚である娘には、人間の心や魂のことは全く理解できませんでした。それでも娘は王子への恋心を諦めきれず、ついには人間になる方法を求めて海底の魔女のもとを訪ねます。

ディズニーの『リトルマーメイド』には祖母は登場しません。人間への憧れを捨てきれないアリエルは海の魔女アースラに目をつけられてしまいます。原作『人魚姫』にも魔女が登場します。アースラほど悪人ではないようですが、魔女は魔女です。

海底の魔女は娘に、人魚の尾を人間の足に変える薬のことを教え、「人間の足になると歩くたびにナイフを踏むような痛みに苦しむようになる」「王子からの愛を得られなければおまえは海の泡となって消える」と伝えます。

それでも薬を欲しがる娘に対し、魔女は「薬の対価として、人魚の中でも最も美しいお前の声をもらいたい」と言い、娘はその条件を受け入れて薬を手に入れます。

原作では声が出なくなるだけでなく、歩くのもままならないという悲しい代償が・・・。人魚が簡単に人間になれるわけではないのです。

陸に上がって薬を飲みほした娘は、足に走った激痛に耐えきれず気を失います。そして気が付いた時、娘の前には憧れの王子がいました。王子は浜辺に倒れていた美しい娘のことを一目で気に入り、二人は宮殿で一緒に暮らすことになりました。

こうして人魚姫は自分の世界と尻尾と声を手放して、憧れの王子のもとで暮らせるようになりました。しかし物語はトントン拍子にはいきません。

叶わぬ人魚と人間の恋

王子は娘を妹のようにかわいがり、足の不自由な娘を馬に乗せていろいろな場所に連れて行くようになります。

そんなある日、王子は娘に打ち明けます。自分は命を救ってくれた女性に恋をしている。でもその女性は修道院に入っており、結婚することは叶わない、と。

王子は海岸で王子を発見した女性を命の恩人だと思い込み、修道院にいるという彼女に恋をしてしまっていたのでした。

せっかく王子と再会できたのに、王子の愛は他の女性に向けられていました・・・。ここから娘の運命が少しずつ狂い始めます。

娘は王子に、海で王子を助けたのは自分だと伝えようとするのですが、声を失っている彼女にはそれを伝える手立てはありません。それでもいつの日か、王子に伝えられる日が来ると信じていました。

王子も娘と毎日を過ごしているうちに娘への思いが芽生え始め、修道院の女性への恋が叶わないのであれば・・・と考えるようになります。

もの言わぬ美しい娘を、意中の女性の代わりに愛そうと考え始める王子。でもこれは本当の愛と言えるのでしょうか。そして娘はそれでもいいのでしょうか。

そんな王子に、隣国の姫との縁談が持ち上がります。王子は乗り気ではありませんでしたが、その姫を見て驚きます。隣国の姫こそは修道院にいるという意中の女性で、修道院に入っていたのは花嫁修行のためだったのでした。

王子は隣国の姫との結婚を即決。その瞬間に人魚の娘が王子の愛を手に入れることは叶わなくなったのでした。

人魚の娘の恋はこのまま終わってしまいそうです。彼女は海の泡となって消えてしまう運命なのでしょうか・・・。

海辺で一人悲しみにくれる人魚の娘のもとへ、海の中から姉たちが現れます。そして姉の一人が娘に短剣を渡してこう言いました。

「私たちの美しい髪と引き換えに魔女からもらった短剣です。この短剣で王子の心臓を刺し、その返り血を浴びることであなたは人魚に戻れます」「王子を殺して私たちのところへ帰ってくるのよ」

王子を殺せと娘に言う姉たち。人魚たちにとって王子の命よりもかわいい妹の方が大切です。娘はどうするのでしょうか。

魂を持たない人魚の娘は、姉たちに言われるままにその短剣を持って王子の寝室へと忍び込みます。そして王子の額にキスをして別れを告げると、その胸を狙い短剣を振り上げます。しかし王子が寝言で愛する姫君の名前を呟くのを聞いた瞬間、娘の心に生まれて初めての感情が沸き起こります。

愛する王子は今、幸せの絶頂にいる。その幸せを自分が壊すなんて、そんなひどいことはできない・・・。

海辺へ戻った娘は短剣を海へ投げ捨て、そして・・・自らも海へ飛び込んだのでした。王子の愛を得られなかった娘は、あっという間に海の泡となって消え去ったのでした・・・。

『人魚姫』が悲恋の物語と言われるのは、海の泡となって消えるという悲しい結末があまりに印象強いからです。でも実は原作には、物語を締めくくる重要なラストがあります。

本当に重要なのは海の泡となってから

人魚姫は自ら命を絶つことを選びます。それは王子への愛が本物であった証です。

そしてこの後、人間への愛を貫いた娘のもとへ救いの手が差し伸べられるのです。

娘は自分の体が泡になったのを感じていました。でもその体は空気のようになって空へ浮かび始めます。

周りを見ると、自分と同じように宙に浮いている透明なものがたくさんいるようです。

「私はどこに行くのかしら・・・」戸惑う娘でしたが、まばゆい日の光の中で何者かが娘に語りかけます。

「あなたは風の精霊に生まれ変わりました。精霊の仕事を300年勤め上げると人間と同じように魂を得ることができます。」

人魚の娘は確かに海の泡となりました。でも透明になった彼女は精霊になることができたのです。なぜでしょうか。

ふと下を見ると、自分のことを探しに来た王子と妃の姿がありました。彼らは何も知らないにもかかわらず、なぜか悲しい気持ちで海の泡を見つめるのでした。精霊となった人魚の娘は二人のもとへ降りてきましたが、娘の姿は彼らの目にはもう映りません。娘は王子と妃の額にそっとキスをすると、他の精霊たちのもとへ戻ります。

「300年勤めたら私も天国へ行けるのかしら・・・」

そうつぶやいた娘に周りの誰かがそっと教えます。

「善い行いをすることで天に召される日は近づきます。子どもたちを見守りなさい。親を愛し、親に愛される良い子どもをたくさん見つけてあなたが微笑むことができれば、その日はすぐに来るでしょう。反対に親を悲しませる悪い子を見つけてあなたが涙すれば、その日は遠ざかります」

その言葉を聞いた人魚の娘の目から、生まれて初めての涙が流れました。

原作『人魚姫』は、娘と王子の恋物語という観点だけで言えば、確かにバッドエンドです。しかし最後まで読んでみると、ただただ悲しいだけの物語ではないことがわかります。

人魚姫は不幸なのか

さて、原作の人魚姫は『リトルマーメイド』のアリエルとは異なり、王子の愛を手にすることができずに海の泡となりました。でもこの物語の本質は別のところにあるように思いませんか?

原作の人魚姫はあくまでも人魚であり、人間と同じ心(=魂)を持っていません。王子を愛する心も、最初は単なる人間への憧れだったと思われます。

人魚としての自分を捨て、家族を捨て、声を失ってまで王子の愛を獲得しようとした人魚姫ですが、彼女が本当の愛の重みを知ったのは、眠っている王子を殺そうとした瞬間です。愛するものの命を奪うくらいなら自分の命を投げ出す・・・。本当に愛しているからこそ、自分の都合で王子の幸せを壊すことなんてできなかった・・・。

魂を持たない人魚が苦しみ悲しみ抜いたその先で、真実の愛に到達しました。その結果、人間に頼らず自分の力で魂を得るチャンスを天より与えられたのです。

このラストは重要です。人魚の娘にとっては、生半可な存在のまま王子と一緒になるよりも、何百倍もハッピーなラストだと言えるのではないでしょうか。

アリエルと人魚姫。人魚から人間へと近づくことができたのは原作の人魚姫だと言ってもいいと思います。

「人魚姫のためにいい子でいましょうね」というメッセージ

アンデルセンの時代の児童文学は、子どもたちに何か大切なことを間接的に教える、という使命を持っていました。ラストでわかるように『人魚姫』の場合は「親を喜ばせるようないい子でいましょうね」というメッセージが込められています。

人魚姫のことをかわいそうだと思った子どもは、精霊となった人魚姫がいつ見に来ても大丈夫なように、親思いのいい子でいる必要があります。

「いい子でいましょうね」なんて一言も書かずに「いい子でいなきゃ」と読み手に思わせるわけです。すごいテクニックだなあと思います。

モデルは失恋したアンデルセン自身

失恋ハートブレイクの『人魚姫』ですが、実は原作者のアンデルセンが彼女に自分自身を投影していたという話があります。この作品を執筆する前、アンデルセンは立て続けに2人の女性に失恋しており、それが物語に大きな影響を与えたようです。これはアンデルセンを研究している人々の間では定説となっています。

たとえ失恋しても真実の愛を貫き、自分犠牲もいとわず相手を想う・・・。アンデルセンの美徳とするところだったのかもしれません。

原作『人魚姫』を読むには?

原作の『人魚姫』はアンデルセンが執筆した童話集の中の一編に過ぎません。現在入手できる書籍では福音館の「アンデルセンの童話」がもっとも原作に近いと思われます。

まとめ

以上でアンデルセンが書いた原作『人魚姫』の紹介を終わります。

ディズニーの『リトルマーメイド』があまりに有名になりすぎて、原作の『人魚姫』は忘れ去られつつあります。アンデルセンの名も、ひょっとしたらパン屋さんの方が知られているかもしれないくらいです。

でも、この原作『人魚姫』は魂の大切さを扱ったとても深いお話です。アンダー・ザ・シーの世界をより深く知るために、ぜひ一度は原作にも触れてみることを強くお勧めします。

この記事の執筆者:くま子
Disneyプラスがやめられないディズニー大好き女子です。以前は千葉県民だったので舞浜に行きやすかったのですが、現在は信州人になったのでディズニーランド&シーへ行こうと思ったら小旅行になってしまいます。
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