『メリー・ポピンズ』というと、一昔前は誰もが知っているスーパー・ナニー(乳母)だったのですが、近年は読んだことも観たこともないという人が増えていて、寂しい限りです。
本記事ではトラヴァース女史の名作『メアリー・ポピンズ』とディズニー映画『メリー・ポピンズ』について、あらすじを中心に紹介していきます。
目次
『メリー・ポピンズ』は過去の名作?
パメラ・L・トラヴァースによる原作『メアリー・ポピンズ』が世に出たのが1934年。日本で同年に発表された小説が宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ですから、それくらい古い作品です。
原作の児童文学は『メアリー・ポピンズ』で、ディズニーの映画は『メリー・ポピンズ』と呼ぶのが日本では一般的です。イギリスとアメリカの発音の差も言われていますが、イギリスの作家であるパメラ・トラヴァースはアメリカ風にアレンジされた映画『メリー・ポピンズ』(1964年公開)のことを好ましく思っていなかったので、区別されたほうが彼女はうれしいかもしれません。
2018年には『メリー・ポピンズ リターンズ』が公開され、前作の子供達が大人になった姿を54年ぶりに描いて話題になりました。でもこれを観て「懐かしい」と思える人のほとんどは、登場するジェーン&マイケル・バンクス姉弟と同じくらいの年齢層かもしれません。
若い世代はジュリー・アンドリュースが演じる『メリー・ポピンズ』を観てからでなければ分からないことだらけかと・・・。
アカデミー賞で最多13部門にノミネートされて5部門を獲得した世紀の傑作も、今となっては紛れもなく”過去の名作”。なので、そのあたりのあらすじ・要点をざっと紹介しようと思います。
メリー・ポピンズはデレない”ツンデレ”
とにかく原作のメリー・ポピンズは子供に対してツンツンしているナニー(乳母であり家庭教師でもある存在)です。
ナニーは日本では全く馴染みのない名称ですが、イギリスの上流階級ではナニーに育てられる子供が多かったようで、『ピーターパン』に登場するウェンディーとジョンとマイケルもナニー(犬のナナ)に世話してもらっています。
メリー・ポピンズは子供への愛情をたっぷり持っていて責任感も強いのですが、子供達の前ではイギリスのナニーの典型とも言われている”上品で厳格”なキャラクターを常に演じています。
つっけんどんでドライで、自分に自信がある完璧主義。何でもそつなくこなす冷徹な女性ですが、なぜか子供の心を掌握して徹底的に懐かれます。
原作のメアリー・ポピンズの厳格さと比べたら、映画のメリー・ポピンズはまだ笑顔を見せてくれる分だけまし、ぐらいのものです。
でも実は子供達にデレデレなのですが、それをおくびにも出さないのが一流のナニーなのかもしれません。
かんたんなあらすじは・・・
映画『メリー・ポピンズ』のあらすじを紹介すると・・・。
あまり大きくないカバンの中からありとあらゆるものの引っ張り出し、子供達を仰天させました。
彼女と古い付き合いだという煙突掃除兼大道芸人のバートと一緒に、バートが地面に書いた絵の中に入って遊んだり、笑うと宙に浮いてしまうアルバートおじさんの家に行って一緒にお茶をしたり、子供達は奇妙で不思議で最高に面白い体験を重ねていくのでした。
子供達は悪くないと言うことがよくわかっているジョージ。でも騒動の責任を取らされて、会長からクビを言い渡されます。
ふと浮かんだのは謝罪の言葉ではなく、以前メリー・ポピンズに教わった魔法の言葉でした。思わずそれを口ずさんでみたジョージは、みるみる心が軽くなり、その場で笑い出します。
公園では頭取である会長の息子も凧を揚げていて、彼がジョージに言います。「一度も笑ったことがない親父はキミのおかげで大笑いしながら息を引き取った。キミには銀行に戻ってもらいたい」・・・。
「さよならメリー・ポピンズ。またすぐ帰ってきておくれ・・・」
映画『メリー・ポピンズ』には有名な曲「チムチムチェリー」「お砂糖ひとさじで」「凧をあげよう」や、泣ける名曲と言われている「2ペンスを鳩に」など、珠玉の音楽がふんだんに使われており、印象に残ります。ディズニーならではの名作であることは間違いありません。
メリー・ポピンズは魔女か天使か・・・
物語の中で魔法のような力を使って不思議なことを次々に起こすメリーポピンズ。でも本人は魔法なんて使っていません、くだらないことを言うものじゃありません、というツンツン態度を崩しません。
空から降りてきた時点で天上人か何かだということは明確なのですが、彼女の正体は原作でも映画でも明らかにされることはありません。
昔から魔法を使うのは魔女と相場が決まっていますが、全然魔女っぽくないメリーポピンズ。天使かというと、そんなイメージでもありません。
ただ何となくわかることは、どうやらすごく長く生きているらしいこと。親戚はみんな長命ということ。昔からの知り合いだというバートから見ても、彼女の姿はずっと変わっていないようです。
魔女か天使か、妖精か何かか・・・。
原作の一節によると、赤ん坊の頃は誰でも動物や風の言葉がわかるのだとか。「大きくなるとわからなくなる。大きくてもわかるのはメリー・ポピンズだけ」。
何やら、『ピーターパン』に似た話になっています。ひょっとしたら子供の頃にしか見られない、体験できないことを見せてくれる超自然で非現実な存在、それがメリーポピンズなのかも・・・。
原作と映画で異なる設定
ディズニー映画はパメラ・トラヴァースの原作のいろいろな部分に変更を加えています。例えば次のような部分です。
①映画の冒頭でメリーポピンズは雲の上にいますが、原作ではそのような描写はありません。
②バンクス家には4人(途中から5人)の子供がいますが、映画では2人になっています。
③原作のメリーポピンズはいつも不機嫌で、いつも命令口調。
④魔法の言葉である「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」は映画のオリジナル。
⑤原作ではバートと子供達に接点はなく、単なるメリーポピンズの友達として登場する。
原作は『風にのってきたメアリー・ポピンズ』『帰ってきたメアリー・ポピンズ』『公園のメアリー・ポピンズ』、それに短編集の『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』の4作があります。メアリーポピンズはバンクス家に都合3回訪れており、子供達はそのたびに不思議で面白い体験をしています。
『リターンズ』は完全オリジナル
2018年の映画『メリー・ポピンズ リターンズ』はもちろん原作とは一切関わりの無い、ディズニーのオリジナルストーリーです。
バンクス家の子供達も中年の大人になっており、人生の様々な苦労を背負い込んで生きています。そこに帰ってきたのが、昔と変わらぬ姿のメリーポピンズ。
なんとなくピーターパンがウェンディーの娘や孫娘を順番にネバーランドに連れて行くのに似た、不思議で楽しそうでいて、どこかもの悲しいような話だと思いませんか。メリーポピンズだけは歳を取らず、一見して何も変わらないままでいる・・・。人間を超越した存在なので寂しいとか感じないのかもしれませんが。
まとめ
というわけで、原作『メアリー・ポピンズ』と映画『メリー・ポピンズ』の紹介をしてみました。
映画のおかげで『メリーポピンズ』というとどうしてもジュリー・アンドリュースの人物像が先行しがちで、しかも彼女が映画『サウンド・オブ・ミュージック』でも家庭教師を演じているため、ごっちゃになってしまう気がします。
原作どおりの厳しい家庭教師ならば、『ハイジ』のロッテンマイヤーさんとまでは言わないものの、森薫さんのコミック『エマ』に登場するケリー・ストウナーのガヴァネス(英国の住み込み家庭教師)時代のイメージが近いのかもしれないなあと思っています。
でもまあ、おとぎの国の存在に近いミステリアスなメリーポピンズが愛された理由は、正体が分からずじまいだったからというのも大きいわけで、正体が分からないままでいてくれることを願ってやみません。