世界のスーパースター「ミッキーマウス」の誕生にまつわる壮絶なドラマ

ディズニーファンならみんな大好きなミッキーマウス。ディズニーの世界の顔であり、キャラクターたちのリーダーです。

今でこそ華やかなディズニー・ワールドの象徴ですが、このミッキーマウスの誕生の裏には、ウォルト・ディズニーの苦悩やスタッフとの決別など、様々なドラマがあります。

ミッキーマウスについて、今よりちょっとだけ詳しくなってみませんか?

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ディズニーはミッキーから始まったわけじゃない

ディズニーと聞けばほとんどの人が、あの愛らしいミッキーマウスの顔を思い浮かべるでしょう。ディズニーの長い歴史はミッキーマウスと共に育まれてきました。だからミッキーマウスのことを、ディズニーが生み出した最初のキャラクターだと思っている人も多いようです。

でも、ディズニーが最初に生み出したキャラクターは、ねずみではありません。それはオズワルドという名のウサギのキャラクターでした。

オズワルドは1927年9月5日に『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット トロリートラブルズ』というモノクロのショートアニメでスクリーンデビューしました。生みの親はウォルト・ディズニーと、作画を担当したアニメーターのアブ・アイワークスでした。

オズワルドは後に登場するミッキーマウスの顔がもっと丸くなって、耳が長くピンと立ったような風貌をしており、半ズボンに斜め掛けのサスペンダーが特徴的なウサギです。長い間ディズニーキャラクターに含まれていませんでしたが、2006年にようやく仲間入りを果たしました。

 

ディズニーが失ったキャラクター「オズワルド」

オズワルドの登場するアニメは評判になり、全部で26話が制作されました。(うち第1作は未公開)

ところが、当時のウォルト・ディズニー・カンパニーはまだ弱小企業。自社だけで映画を公開する力はありません。オズワルドのシリーズは、ディズニー社がユニバーサル・ピクチャーズに配給するかたちで、ようやく映画館で上映できていたのです。ディズニー社は言わば、ユニバーサル社の下請け企業でした。

そのためオズワルドがいくら人気者になっても、ウォルトたちへの製作費等の支払い金額は上がることがなく、精魂込めてつくりあげたキャラクターが安いお金でこき使われているようなものでした。

そこでウォルトは、ユニバーサル社へ出向いて製作費の値上げを交渉しました。

ユニバーサル社のプロデューサーだったチャールズ・ミンツはウォルトの申し出に対して、「オズワルドの版権は全てチャールズ・ミンツとユニバーサル・ピクチャーズの側にある」として、逆に製作費を下げるように要求しました。ウォルトにとっては完全に藪蛇です。

現在ではキャラクターの版権等について事前に契約を交わしておくのが常識ですが、この時代はまだアニメのキャラクターについてそこまで考える人はいません。それにウォルトたちにとっては悔しい限りですが、業界大手であるユニバーサル社から版権を勝ち取ることなど到底無理でした。

ところが、事はそれだけでは終わりませんでした。ウォルトの知らない間に、チャールズ・ミンツはオズワルドの制作に関わったウォルト側のアニメーターたちをごっそり引き抜く計画を立てていました。

引き抜き工作は速やかに実行され、結局あとに残ったのはプロデューサーのウォルトと、共同経営者でアニメーターのアブ・アイワークス、それにアイワークスの2人の助手たちだけでした。オズワルドの版権のみならず、ウォルトは大切な仲間たちまでも一度に失ったのです。

失意から誕生した新キャラクター「ミッキーマウス」

予想もしなかった大打撃を被ったウォルトたち。でも彼らには落ち込んでいる時間はありません。ウォルトとアブは悔しさをバネにして、秘密裏にオズワルドを超える新しいキャラクターの制作に心血を注ぎました。

そして、オズワルドのデザインをもとに、ウサギからネズミにモチーフを変え、より親しみやすく愛らしいキャラクターを目指して試行錯誤した結果、ついにミッキーマウスが誕生しました。

ミッキーマウスのスクリーンデビューは1928年11月18日。初公開の作品は『蒸気船ウィリー』でした。当時にしては画期的な、音楽・セリフ・映像を完全にシンクロさせたトーキーアニメーションだったこともあり、映画はたちまち大評判となりました。公開後は雑誌などにも取り上げられ、ウォルト・ディズニーの名は広く知れ渡りました。

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ウォルトは当初、新キャラクターの名前をモーティマー・マウスにしようと考えましたが、妻のリリアンから「堅苦しい名前」と反対され、より親しみやすいミッキーに変えたと言われています。

モーティマーの名は、後に登場するミッキーの恋敵の名前に使われました。

オズワルドの消滅とミッキーマウスの躍進

ユニバーサルへ権利が移ったオズワルドですが、その後は鳴かず飛ばずで、人気も下降の一途を辿ります。移籍後の担当者によるデザインの大幅な変更が不評だったこともあり、オズワルドは10年ほどでスクリーンから消え去りました。

その一方で、ミッキーマウスの快進撃はすさまじく、出演するアニメ作品は軒並み好評で、1930年には公式ファンクラブである「ミッキーマウス・クラブ」が誕生。コミックや本も出版されて、恋人のミニーマウスと共に売り出されたキャラクターグッズも大ヒットしました。

1930年頃からはミッキーの仲間たちという設定で、プルートやグーフィーも登場します。その後誕生したドナルドダック等の新キャラクターたちの人気も相乗して、ミッキーマウスは”ディズニーの顔”から”アメリカの顔”へと成長していきます。

現在の姿に近くなったのは1938年に行われた大幅なデザイン変更からで、それまで黒目一色だった瞳に白目部分が入ることで表情がより豊かになりました。

オズワルドの帰還

ミッキーマウスの成功の裏でも、ウォルトはオズワルドの版権を諦めてはおらず、ユニバーサルへの交渉は続けられました。しかしその願いが叶わぬまま、1966年にウォルト・ディズニーは65歳で亡くなります。

オズワルドの版権がユニバーサルからディズニー社に返還されたのは、それからさらに40年後の2006年。オズワルドは実に78年ぶりに古巣へ帰還します。この帰還は、ディズニー傘下の放送局ABCの人気アナウンサーだったアル・マイケルズがNBCユニバーサルへ移籍する際の交換条件として実現したと言われています。

その後オズワルドは、2013年に『アナと雪の女王』と同時上映されたモノクロ短編アニメ『ミッキーのミニー救出大作戦』でスクリーンに復帰、ミッキーマウスとの共演を果たしました。

ちなみにオズワルドのグリーティングが世界で初めて実現したのは、2014年4月の東京ディズニーシーです。


逆境にも挫折にも負けず、不屈の精神で突き進んだウォルトの歴史は、ミッキーマウスの歴史でもあります。成功までの道のりには壮絶なドラマがあったことを、ファンとして忘れてはならない気がします。

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